『仕事道楽』 鈴木敏夫

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

 高畑勲宮崎駿の両監督をはじめ、ひと癖もふた癖もある個性豊かな人たちが集まるジブリの創造の現場を、ジブリのプロデューサーである著者が語る。
 彼は「好きな人と好きな仕事をする」いう、個人的でいわば道楽的な姿勢を大切にしつつ、実際の仕事の進め方においてはプロデューサーとして組織的に取り組んでいい作品を作ってきた。これはとても興味深い。
 仕事は個人の自己満足ではよいものには仕上がらない。しかし、自己の満足がモチベーションの源泉になければ、いい仕事は持続しない。
 つまり、モチベーションの源泉としては個人の満足感が大切なのだけれど、いい仕事に仕立て上げるのには他のメンバー、社外の人たちの力(能力、資本、情熱)を引き出し、摩擦も否定せず、したたかに調整するといった、まさにプロデューサーとしての組織としての仕事が重要であるという視点。
 モチベーションの源泉や発想の仕方は「道楽的」に、仕事の進め方は「プロデューサー的」にというのが、いい仕事を持続させる一つの在り方かも、と思う。

 あと、堀田善衛の話が出てくる。すごい人のようだが、ぼくはまだ読んだことがない。この本の中で、堀田の『広場の孤独』が引かれていた。まずはこれから手に取ってみよう。


教養を共有したい

 高畑・宮崎の二人との出会いは強烈でした。当然ながら、もっとつきあいと思う。そのためには、なんとしても彼らと教養を共有したいと思ったのです。話ができないのでは悔しいですから。
 それでまず、取材記者だったという経験を生かして、二人が言ったことは全部「取材ノート」に書きまくった。

つねに断言する

 だから、『ぽんぽこ』なんかは、何しろタヌキの映画でしょう。関係者一同、みんな不安ですからね、強く言わないといけないと思ったんですよ。
 ちなみに、ぼくはこうした文書を書くときであれ、口頭で説明するときであれ、基本的にはどんどん断言していきます。一応リーダーですから、コミュニケーションで曖昧なところは見せてはいけない。そうでないと、みんな困ってしまいますから。
 (中略)何事もそうですが、100%正しいということはふつうありません。比喩的にいえば、90対10だったり、80対20だったりします。それでいえば、究極の二者択一は51対49ですよね。こっちがよさそうだが、自信を持ちきれないというときです。(中略)このときも決めてしまえば、100%の自信をもって言う。伝達するにはそうあるべきなんです。ただ、言ってしまった以上、それを実行する力は必要です。
 現実には間違っていたり、軌道修正が必要になったりします。そのときはいさぎよく謝る。それでいいと思っています。あらかじめ、「自信はないけど、多分」などという姿勢だと、現場は動きようがない。

ミーティングのやり方ゴシックはぼく)

 「楽しい会にすること」―どうせやるなら楽しいミーティングをやりたいし、参加した人があとで「よかった」と思うものにしたい。そうでないといい案は生まれないし、いいものはできないと思っている。(中略)
 「若いメンバーの参加」―ミーティングには、ジブリだけじゃなくて、日本テレビ博報堂電通など、関係各社の人たちが出ますが、そもそもいろいろな会社の人が集まってくることじたいに意味があります。「今日、会社でこういうことがあった」という話に、すでに「現代」が含まれていますから。そのとき必ず「若い人を連れてきて」と頼みます。プロである必要はありません。若いから、経験がないから出てくる発想、というものがあって、それが役に立ちます。メンバーには、「こういう意見を言ってくれるだろう」という人と、何を言うかわからない人、いわば、プロとアマが必要で、じつは絶対にほしいのは後者なんです。半可通がいちばんダメ。経験はないがセンスはいい、という人がいるとしめたもので、その会社の上の人に話して「あの人貸して」ということもある。(中略)
 「全員に意見を言わせる」―どんな小さな問題でも、その場にいる人全員に意見をききます。時間はかかりますよ。チラシのラフ1枚で、4、5時間かけたこともあります。でも、これは基本なんです。基本をやっておけば、そのあとが楽です。これには雑誌の経験が役に立っています。当時、編集部員のほかにライターが5、60人にいました。彼ら一人ひとりに「いま何をやるのがいいか?」と、順々にアイディアを訊いていく。ぼくがやることは、みんなから聞いたことのなかからどれをやるかを選択することだけで、「自分は教えてもらう仕事なんだ」と思っていた。いわば交通整理をずっとやってきたんです。やるときはもちろん、アイディアを出した人間に担当させる。そうするとやはり、がんばるからおもしろいものになる。
 「自分の意見を用意せずにのぞむ」―テーマや方向性は示すけれど、内容については自分の意見を用意しません。できるだけ空っぽにしてその場にのぞむ。そのくらいにしておいたほうが、自由な意見が出やすいし、新鮮な発想が出てくるんです。ぼくはそれをともかく聞く。
 いずれにせよ、最後は意見をまとめなければなりませんが、ぼくとしてはこれかなと思ったところで、みんなを説得します。可能な限り納得するまで話し合って、その時間を共有する

機能だけでは集団は維持できない

 映画づくりで才能は必要ですが、誠実さも同時に必要です。実際、才能のある人ばかりで1本の映画を作るというのは不可能です。一人の人間の考えたものをみんなで寄ってたかって作るわけですから、数人の才能ある人と、誠実にこなしてくれる人の両方が必要なんです。(中略)
 ぼくがそのモデルとしておもしろなと思っているのは、ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』です。かつてこんなことを言いました(「映画作りも流通も、時代の変わり目に僕らはいる」2005年)。


 〔『十五少年漂流記』には〕完璧な少年はひとりもいないんですね。だから15人が力を合わせなくてはいけない。そこがおもしろいんですよ。じつは組織作りをするときにも、それが理想なんです。それぞれが他人とは違った何かを持っていて、ひとりの落ちこぼれもリストラも出さない。そういう集団を現実にあてはめて作ることができないか、と。実際にいつか『十五少年漂流記』じたいを映画にできないかと、ひそかに思っているんです。


 これに対して新撰組。あれは日本で最初にして最後の機能集団だったと思うんです。つまり、人を斬ることに長けた人間だけが集まったわけでしょ。新撰組は人を機能としてとらえて、それだけ集団を維持しようとした。そしてその末路は悲惨なものだった。
 機能と人間というか、才能と誠実さのバランスは難しいけれど、その両方が絶対に必要です。まじめだけどまだ力足らないという人がいると、みんながそれを助けようとする。助けるなかで、助けている人自身が新しい面を出して伸びていく。これが組織であることのよさだし、単なる「一匹狼」の集合だと、力は単純に足し算で、下手すると引き算になってしまう。