伊勢神宮に行く

 2月7日(土)、伊勢神宮に初めて行く。前日に三重で仕事があって1泊して参詣した。

 ならわしどおり外宮から参る。その後バスで内宮に向かい、手前の猿田彦神社に参ってから歩いて内宮に向かう。

 伊勢神宮では「珍しさ」みたいなものを感じた。それはたぶん、お寺を見慣れていてそれとの対比から来る感覚だろうと思う。

 建物は全般に茅葺きの神明造。茅葺きの屋根に鰹木(かつおぎ)といわれる丸くて太い木が堂々と並べられ、屋根の左右には千木(ちぎ)が天に突き出すようにしてある。本殿の御正宮(外宮では後正殿)の位置が遠い。賽銭箱の前に白い布がかかっていて、その向こうに境内があり、さらにその奥のほうにある。

(外宮御正殿への参詣)

(内宮御正宮への参詣)

 お寺は瓦葺きで、お参りは仏像に手を合わせることが多い。瓦は茅葺きよりも今の時代でも見慣れたもので、お参りの仕方は具体的というか即物的である。また、近所の神社と比べても、神明造は非日常的であり、布を前に参拝するというのは抽象的である。

 内宮も外宮も掃除が行き届いて清められているが、境内には木造のブースが点在してその中に人がいる。その一方で、周囲には大木が厳粛に立ち並び、内宮では五十鈴川が外縁を流れ、参詣前にはそこで手を洗い清められるようにもなっている。つまり、人の手による美しさと自然の素朴さの双方があるわけだが、お寺では、人の手による美しさはさほど目立たない。自然ほうが圧倒的だったり、建物に目を奪われて、寺を管理する人の存在はほとんど感じない。

(内宮の大木)

 そんなところから「珍しさ」を感じたのだと思う。

 猿田彦神社猿田彦大神は、『古事記』『日本書紀』などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられ、一歩を踏み出す、みちひらきの縁起のよい神様として親しまれ尊ばれているという。ぼくは手塚治虫の『火の鳥』で出ていたのを覚えていて、参ってみた。境内には天岩窟(あめのいわや)に隠れた天照を楽しいダンスで外に出した天宇受売命(あめのうずめのみこと)も祀られている。これは全国でも珍しいことらしい。また、神社の裏の御神田(おみた)のところはほのぼのとした風景で気持ちいい。毎年5月5日に田植えの神事を行うという。

猿田彦神社の御神田)