ドゥラメンテ皐月賞優勝、息子と映画「ドラゴンボールZ 復活のF」を観に行く、五月人形も今年で仕舞いか、『旅のラゴス』など

4月12日(日)
テレビボードを買いに、家族でニトリに行く。色はブラウンのコンパクトサイズのものを、手ごろな価格で購入。

4月13日(月)
一日中雨。午前中Y先生の単行本原稿校閲、午後N先生の原稿校閲。帰りに、五反田駅ガード付近の、その辺りでは一番うまいと評判の立ち食いうどん屋おにやんま」で、かけうどんを食う。天かすは自由に入れられ、関西風のだしに、こしのある麺。なかなかうまい。

4月14日(火)
朝の通勤電車は山手線は一つ見送り二つ目に乗ればたいして混みを感じず、つり革をもてて、新宿で座れる。だいたい7時25分くらいに家を出るといい感じ。朝の通勤電車で、Fさんに借りた『旅のラゴス』を読み始める。文章を読みながら、深呼吸をしている感じの清々しい文体。夜、「空も飛べるはず」をギターで練習中に息子が歌い出す。僕が弾いて歌うのを聞いていて、いつのまにか覚えたようだ。嬉しい。

4月15日(水)
Y先生の単行本原稿校閲に取り組む。夜、Iさんと軽く飲んで帰る。その飲み屋で新橋で占いをしているという元気なおばさんを知る。

4月18日(土)
初夏のような爽やかさ。午前中、ギターの練習。午後、息子と「ユナイテッドシネマとしまえん」に今日から始まった映画「ドラゴンボールZ 復活のF」を観に行く。息子と二人で映画に行くのは数年ぶりで、息子によると「忍たま」以来とこと。映画はまずまずだったが二人で出掛けられたのは嬉しかった。映画を観た後、マックで息子はダブルチーズバーガー、僕はコーヒー。17時頃帰宅。夜、息子とかみさんは近所のYちゃんから借りた「あたしんち」のマンガを笑いながら読んでいた。

4月19日(日)
中山競馬場皐月賞。仲間と一緒に行くつもりだったが、風邪気味のため大事をとって欠席し、テレビ観戦。POGの持ち馬ドゥラメンテが衝撃的な勝ち方。テレビの前で大声を張り上げる。競馬場に行った皆からお祝いのメールをもらい、ドゥラメンテの写真も送ってもらう。とても嬉しかった。

4月23日(木)
夢にコント赤信号のナベさんが出てきた、「待たせたな〜」と。不思議だ。昼飯はWさん、Tさん、Gさん、Fさんと、うどん屋の「めんこや」。まずまずおいしかった。

4月25日(土)
退院後の状況確認と新たな投薬の再開のため、外来に。別系統の降圧剤を処方。まずはこれで様子を見ていくことに。ディケンズ二都物語』読む。

4月26日(日)
朝、息子と塾の国語の宿題をする。塾の宿題がなかなか大変なので、やり方の変更を僕が検討・提案。遊びとの両立が難しい平日は算数だけ行い、国語は1週間分まとめて日曜に、僕と一緒にやることにした。1週間分まとめてだったので2時間程度掛かるとみていたが、あっさり40分で終了。朝一番にしたのはよかった。今後もこのやり方を続けてみよう。
その後、五月人形とこいのぼりを出す。五月人形は僕の代からの年季の入ったもので痛んでもいる。ちょうちんが破れていたり、兜の前立の半分が折れてなくなっていたりする。それでも飾るとなかなか堂々としたもので、うちではここ数年玄関に飾っている。息子は今年小学6年生。飾るのは今年最後で、いよいよこの五月人形もお役ご免かななどと思いながら、かみさんと組み立てる。
その後、大泉学園にできた駅ビル「グランエミオ」に一人で行く。ジュンク堂が入っており、本はそろっていて今後重宝しそう。午後整体、その後、家族でスーパーに買い物。息子は先週に続き、マックでダブルチーズバーガー。最近とにかくよく食うようになってきた。夕方昼寝。夜、ゴールデンウィーク江ノ島に行くことを決める。モームモーム語録』、ディケンズ二都物語』、マクニールの『世界史』読む。写真は息子の今年の時間割。

4月27日(月)
最高気温が26度まで上がる。朝、引き続きFさんに借りた『旅のラゴス』を読み続けている。心地よい。S氏原稿校閲、Y先生単行本原稿校閲。昼、Gさんお手製のシナモンロールを美味しくいただく。

4月28日(火)
気温今日も夏日。Y先生の原稿校閲続ける。帰りに「おにやんま」で、冷やしうどん。

4月29日(水)
午前中ギター教室、午後、夏の旅について検討。息子、かみさんとともに、オオクワガタの幼虫を買ってくる。

4月30日(木)
朝の通勤電車座れず。先日の勉強会でお世話になったH先生に初めて原稿執筆を依頼。神田の事務所にご挨拶に行く。神田駅から歩いていると、神田祭の案内が至るところで見られ、祭りが近いことが感じられる。お土産に「庄之助最中」購入。行事の軍配うちわの皮に、たっぷりの餡。まずまずよし。

5月1日(金)
朝の通勤電車で『旅のラゴス』、最高に面白い部分「王国への道」。書き写したいところが多々あり。Y先生単行本原稿校閲。帰りに先日ネットで予約しておいた、明後日の片瀬江ノ島行きのロマンスカー切符を取って帰る。西武線小田急線の江ノ島・鎌倉フリーパス(これはお得。通常の片道+α程度の値段で往復乗り降り自由の切符が買える)と組み合わせて使うつもり。
『旅のラゴス』の「王国への道」より。
・書架のいちばん隅には移住者によって筆記されたこの地に到着して依頼の日記が数冊あり、これはなかなか面白そうであった。難解な書物で肩が凝った時などに楽しんで読むのがよかろうと思い、写真入り書物十数冊と共におれはそれを居間に運んだ。

・次にとりかかるのはいずれの書物群にすべきかと書庫の中で迷いに迷った末、おれはまず思想・哲学書の一隅に立った。人類の精神史ともいうべきそれらの書物はおれにとって実に魅力的に思えた。だが、最初の一冊を読みはじめておれは音をあげた。難解極まりなく、それはかの里の歴史や政治形態に関する知識が皆無に近いからであるに違いなかった。そこでおれはがらりと形而下的なものに対象を変え、実用書とでもいうべき農芸、鉱業、工業といった書物を読みはじめた。基礎知識は学校で教わっていたし、とにかく理解可能なものから吸収していくのが自然の順序であろう。思想・哲学それにまた詩学などは、いわば最終的な書物なのだ。

・四カ月後、おれは歴史と伝記に読み耽ってた。年代を追って史書を読み、各時代への理解を深めるため、それぞれの時代における重要人物の伝記はその時代の歴史に並行して読むという方法が、なんとぜいたくな、そして愉悦に満ちたものであったかは、かくも大量の書物に取り囲まれているおれにしかわからず、実際おれにしか体験できぬものであったろう。それはまた歴史理解の最も効果的な方法であったとおれは確信している。いつ読み終えるかもしれぬそれらの歴史をおれは散歩する暇さえ惜しんで読み続けた。といっても、焦燥とは無縁だった。かくも厖大な歴史の時間に比べればおれの一生の時間など焦ろうが怠けようがどうせ微微たるものに過ぎないことが、おれにはわかってきたからである。人間はただその一生のうち、自分に最も適していて最もやりたいと思うことに可能な限りの時間を充てさえすればいい筈だ。
 歴史と伝記に関する書物を読み終えるのには約一年かかった。読み終えた時はふたたび秋になっていたからだ。本来ならば歴史を学びつつ各時代に書かれた文学も併読すべきであったかもしれない。歴史への理解の度はより深まったかもしれないのだが、おれはことさらにそれを避けた。あまりにも愉悦が大きすぎるような気がして自らが不安だったからである。

・まことに、歴史というのは学問をしようという者にとってすべての学問の基礎であり、最初の学問ではなかったろうか。というのは歴史に続いておれが手をつけたのは政治経済関係の書物であり、おれはこれらに分類される書物のうち政治学史、経済学史より読みはじめたからである。もし歴史を学んでいなければこれらは理解不可能であったろうし、またこれらは政治学、経済学の本を読むための第一段階であった。ここを読破したなら、のっけに投げ出した哲学書思想書への再挑戦への足がかりにもなる。
 翌年の夏になったが、おれはまだ政治と経済にのめりこんでいた。これは泥沼であった。想像するに、実際の政治や経済の面白さ以上の面白さがそこにあるからではなかっただろうか。社会科学には一種の麻薬じみた中毒性が感じられた。

政治学の延長で、おれはいつの間にか社会学史、社会運動史、労働問題などの書物に読み耽っていた。(中略)解決策が提示されているものもあり、政治形態が改まらぬ限り解決できぬていのものもあった。おれはこのころからノートをとりはじめた。それまではいちいち以前に読んだものをもう一度読み返していたのだ。読み返したために新たな発見があったり真の意味が理解できたりすることもあり、それはそれで効果的な学習方法でもあったのだが。

・ついに我慢ができなくなり、おれは小説の類に手を出した。のめりこむことをおそれ、おれはせめて難解な古典から順に読んで行くことを自分に課した。しかし古典の難解さは実は古語の頻出のみに由来し、書かれている内容はその社会や時代の背景がわれわれのこの世界と似ていることもあって実に容易に理解できるのだった。

・あまりにも小説にのめりこんだため、なんとなく論理的な思考が失われはじめているような気がしたので、おれは解剖学の本に手を出した。しかしこれは暗記をせずにただ読むだけですますわけにはいかず、なかなか先へ進まなかった。何かいい方法はないかと考えた末、医学史を並行して学ぶことにした。医学史が近代へと近づけばやがて化学関係の知識も必要となってくるであろうから、その頃から科学史を並行して読みはじめようという予定も立てた。しかしそうした方面の書物はあきらかにおれ向きではなかった。小説もあいかわらず読み続けていたので、ともすればそちらばかり読み耽ることになり、科学関係の読書は遅々として進まなかった。

・わたし自身は、小説を中断してふたたび哲学に戻った。今度は哲学史から読みはじめたたため理解度は以前よりも大きかった。わたしの人間を見る眼や世界観、さらに人生観は二転、三転した。目まぐるしいほどの視野の移動と拡大があり、わたしの思考力、特に認識力は翻弄された。巨大な奔流が次つぎとわたしに襲いかかってきた。時おり読むことを中断しない限り精神が際限なく危険な状態に近づくのを避けることができなかった。特に厭世的な哲学は大いに危険であり、わたしの精神の健康的な部分はそれらへの抵抗で過熱状態になった。それを冷静なものにするためにはまたしても科学に戻る必要があった。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)