『赤めだか』 立川談春

赤めだか

赤めだか

 シビアで、したたかで、まっすぐな談春の修行時代を、自ら描いたエッセイ。師匠である談志(イエモト)の「人となり」を描いた作品といったほうがよいかもしれない。それだけ、イエモトの振る舞い、ことばが、とにかく際立つ。ユニークであり、緻密であり、大胆であり、自然である。終章の「誰も知らない小さんと談志」は袂を分かった師匠と弟子が互いに秘め持つ相手への愛情が感じられて、ほろりとくる。 
 この本の影響で、最近談志の若い時分のひとり会のCDを聴くようになった。威勢のよさ、スピード感、描写力、自然さは聴いていて気持ちいい。

 談春が中学卒業間近、同級生と上野鈴本へ落語を聴きに行ったとき、高座から談志のことば。ゴシックはぼくがつけた。

「あのネ、君達にはわからんだろうが、落語っていうのは他の芸能とは全く異質のものなんだ。どんな芸能でも多くの場合は、為せば成るというのがテーマなんだな。一所懸命努力しなさい、勉強しなさい、練習しなさい。そうすれば必ず最後はむくわれますよ。良い結果が出ますよとね。忠臣蔵は四十七士が敵討ちに行って、主君の無念を晴らす物語だよな。普通は四十七士がどんな苦労をしたか、それに耐え志を忘れずに努力した結果、仇を討ったという美談で、当然四十七士が主人公だ。スポットライトを浴びるわけだ。でもね赤穂藩には家来が三百人近くいたんだ。総数の中から四十七人しか敵討ちに行かなかった。残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。まさかうまくいくわけがないと思っていた敵討ちが成功したんだから、江戸の町民は拍手喝采だよな。そのあとで皆切腹したが、その遺族は尊敬され親切にもされただろう。逃げちゃった奴等はどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな、努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はなしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな」