江戸時代の系譜読み下し、息子運動会、三崎小旅行、若大将シリーズ、池袋演芸場

9月23日(火・秋分の日)
江戸時代の先祖系譜の古文書解読を自力で読むのをあきらめ、ネットで探した業者に依頼する。ブログ書く。午後買い物後、ギターの練習、DVDで久々に勝新太郎田宮二郎コンビの「悪名」シリーズを見る。第11作の「悪名無敵」。朝吉親分の心意気。夕方、息子のサッカー教室を初見学。思っていたより運動量があり、なかなか頑張っている。

悪名無敵 [DVD]

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9月27日(土)
息子風邪。かみさん、夕方からミュージカルに。京都のJちゃんから、Sさん家族とのピクニックのメールあり。久々にメール。

9月28日(日)
午前中整体。午後、ジュンク堂に久々に行く。『湖底の城』3巻、『ご先祖さまはどちら様』読了。ナボコフの『ロリータ』を読み進める。

ご先祖様はどちら様

ご先祖様はどちら様

9月29日(月)
数日まえからブタクサのアレルギーが本格化。今年は鼻づまりに加え、たまに軽く湿疹が出たり頭痛もありきつい。午前中、健診。午後そのまま半休。帰宅後、頭痛のため昼寝。

10月1日(水)
先祖系譜の資料の読み下し文が業者から届く。なかなか興味深いことが書いてある。ポイントは以下のとおり。
1.元祖(初代)は肥前唐津城主寺沢志摩守殿子息兵庫頭殿家に船手役として勤めていた。
(ただ、この寺沢家の兵庫頭は天草四郎島原の乱の責めを追い、領土が削られる。そのことを苦にしてか、兵庫頭は自殺。ちなみに元祖より前のことは「旧記断絶仕り、始祖その外委しき儀相知れ申さず候」とあり、この資料で分かるのは江戸時代の初代から)

2.寺沢家の家臣一統は浪人となるが、うちの先祖の四郎兵衛直次と、もう一人の家臣は幕府の目附役津田平左衛門から「当所は唐の渡口、殊に長崎へ黒船参り候時の趣き、天草嶋原の様子よく存じ居り候に付き、両人共へ他国の望み仕りまじく候。国許へ差し置かれ、追って御扶持下し置かるべき旨仰せ付けられ候。」と申し渡される。つまり、ここは外国への出入り先であり、特に長崎へ外国船が来たときの様子や、天草島原の乱の様子を(二人は船手役として)よく知っているので、二人は他国への仕官は認められない。このままこの国に置き、追って扶持を下す」と言われた。

3.しばらくして四郎兵衛直次は紀州に来るのだが、その事情は「兵庫頭殿家老、原田伊豫、岡嶋七郎左衛門両人儀、御国表大崎八郎左衛門方所縁これ有り候に付き、南龍院様より八郎左衛門へ仰せ付けられ、兵庫頭家中に天草嶋原の様子よく存じ船手功みなる者両人御召し抱え遊ばさるべき段、津田平左衛門並びに原田伊豫、岡嶋七郎左衛門、大崎八郎左衛門より書中にて申し来たり候に付き、慶安二己丑年(月日知れず)御国へ罷り越し候」。つまり、兵庫頭の家老の原田・岡嶋氏が紀州の大崎氏と縁があった。そこに、南龍院頼宣公(紀州藩初代藩主徳川頼宣。家康の十男)が、大崎氏に、「兵庫頭家中に天草島原の乱の様子をよく知っていて船を巧みに操る両人(四郎兵衛直次ともう一人の家臣)を召し抱えること」を、大崎氏の手紙を通して、幕府目附の津田氏と原田・岡嶋に話があり、それにより、四郎兵衛直次は、慶安二己丑年(1649年)紀州に来ることとなった。
(しかし、四郎兵衛直次は年がいっていたので、息子の半左衛門の仕官を認めてもらえるよう紀州藩に依頼、認められた)

4.その後、幕末近くの1827年までの約200年間、7代目までの代々の当主の勤めぶりが簡単に記されている。おおかた船関係の役職だが、三代目は長崎に黒船が来たといって紀州から船を向かわせる途中、兵庫沖で大時化に逢い、遭難・死亡。四代目から藩主に単独で拝謁する「独礼」が認められている。六代目に婿養子を迎えている。多くの代で、精勤が評価される記述があり、真面目に仕えていたことがうかがわれる。

10月3日(金)
数日ぶりにいい天気で、最高気温は30度。そのおかげか体調がよい。帰りに久々に一駅手前の駅から歩いて帰る。

10月4日(土)
息子の運動会。徒競走は3着。練習での結果から1着を狙い、悪くても2着と考えていた息子は悔しそうで、しかもそれが靴のバンドが緩んでいたためというのもあったようで運が悪かった感も。リレーは半周のみ、騎馬戦は下の右後ろ。小学校設立30周年の記念のソーラン節は組体操との組み合わせ。よく頑張っていた。僕はアレルギーと疲れもあり、やたら眠く、帰ってきてから昼寝。

10月5日(日)
午前中ギターの練習。午後ギター教室。下の3弦だけで、「どうしてこんなに悲しいんだろう」をひく。サビからは今日初めてだが、コードの数が少ないのでなんとなりそう。最後には上の3弦も使い始めて今日は終了。夕方、録画しておいた「大学の若大将」を見る。若大将シリーズの記念すべき第1作。明るくて見ていて気持ちがいい。寅さんに続いて好きになりそうな邦画のシリーズもの。凱旋門賞は日本馬掲示板にのれず。凱旋門は後ろからでは難しいのか。

大学の若大将 [DVD]

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10月10日(金)
仕事を定時で上がり、池袋演芸場に。
馬石「あわびのし」、三遊亭天どん(初めて)新作、雲助「粗忽のくぎ」、アサダ二世の奇術、主任は一番のお目当て柳亭市馬黄金餅」。

10月11日(土)
「三崎まぐろきっぷ」で家族の小旅行。この切符は京急線三崎口駅までの往復と三崎エリア指定区間のバス乗車券、選べるまぐろ料理の食事、レジャー施設利用チケットがセットになった切符で、例えば品川からだと3060円。お得である。僕らはまず三浦海岸駅で降りて回転寿司「海鮮」で食事。店はちょうど開店直前で人気があるのか結構な人が並んでいる。僕らはぎりぎり開店後の席がとれる。この店にしたのは、今回のきっぷで選べる店の中で唯一大トロと中トロの両方が食べられるから。そのほか地魚の握りもたくさんあって盛りだくさん。味はまあまあだったが店には活気もあり、いきなり発泡酒付きでほろ酔いにもなれて休日気分高まる。その後、かみさんと息子は三浦海岸に。僕だけすし屋近くにある手打ち蕎麦屋が美味しそうだったので、蕎麦も食す。こちらも味はまあまあ。その後、僕も三浦海岸に。秋の三浦海岸は人影もまばら。台風19号が列島に近づいているが今日までは大丈夫。快晴で波も多少ふつうより荒いかなという程度。潮風がすがすがしく、海の青で心も晴れる。三浦海岸駅に戻り、終点の三崎口に。駅からバスに乗り、油壺まで。ホテル観潮荘で日帰り温泉を楽しみ、その後、隣りの油壷マリンパークに。温泉は海洋深層水で露天風呂からは海が見えて気持ちよかった。マリンパークはのんびりとした水族館兼小さな動物園という感じ。展望台からの海の景観は抜群だった。18時過ぎ帰宅。
「海鮮」の寿司

秋の三浦海岸

油壷マリンパークのイルカ

10月12日(日)
「銀座の若大将」を見る。くさくさした気持ちが吹き飛ぶ清々しさ。午後、新馬ドゥラメンテ惜敗。ギターの自主練習の後、義父のところに。久々に、司馬遼太郎の『俄』を読む。

銀座の若大将 [DVD]

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10月13日(月・体育の日)
昨夜息子が生物の進化の話をして、「動物は人が作ったんでしょ、○○○(同じクラスの女の子)が言っていた」などと話すので、簡単に進化論について説明したら興味をもったので、岩波ジュニア新書の良さそうな本を朝から買いに行くが、近所の本屋にはなし。アマゾンのプライムで注文すれば早いがそれだけでわざわざ台風が近づいている今来てもらうのも悪い。帰宅後、年末の帰郷の飛行機のチケット予約。昼飯後、先日読み下し文まで依頼した江戸時代の系譜の資料の整理。夕方、その簡単な報告方々実家に電話。

10月18日(土)
ギター教室。アレルギーがきつく、くしゃみ・鼻水多い。山岡荘八の『徳川家康』を読み始める。