『忘れられた日本人』宮本常一著

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 旅の巨人、宮本常一の代表作。「各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907−81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたか、を古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く」(岩波文庫)。

寄りあいについて

 昔は腹がへったら家へたべにかえるというのでなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても3日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。(「対馬にて」より)

 …(略)と同時に寄りあいでのはなしあいには、お互いの間にこまかな配慮があり、物を議決するというよりは一種の知識の交換がなされたようであり、個々の言い分は百姓代(注:百姓の代表者)や畔頭(注:くろがしら。部落の長のこと)たちによって統一せられて成分化せられたのである。(「村の寄りあい」より)

 多くの人が、無理せず納得するまで話し合うにはそもそも時間がかかるということ。だから時間は気にしてはいけない。納得した結論を出せば、あとは各人が自主的にそれを守るという規範性が生じる。結論を意識せず自分の知っていることを話していくという気軽さ!

田植のときの女たちのエロ話

 そして、田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい40前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだが話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になる場合が多い。
 「昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんといの」「へえ?」「親がわりゃァなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐を下腹へもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな」「へえ」「お前は馬鹿じゃのう、痛かったらなして唾をつけんか、怪我をしたら「親の唾、親の唾」って疵口へつばをつけるとつい痛みがとまるじゃないか。それぐらいの事ァ知っちょろうがって言うたんといの」「あんたはどうじゃったの」「わしらはよばいと(夜這い奴)に鉢を割られてしもうて…」「今どうじゃろうか。昔は何ちうじゃないの、はじめての晩には柿の木の話をしたちう事じゃが…」「どがいな話じゃろうか」「婿がのう、うちの背戸に大きな柿の木があって、ええ実がなっちょるが、のぼってもよかろうかって嫁に言うげな、嫁がのぼりんされちうと、婿がのって実をもいでもえかろうかちうと、嫁がもぎんされって、それでしたもんじゃそうな…」
 私は毎年の田植をたのしみにしているのである。(中略)エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。(中略)近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。(中略)
 女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみと思うのである。(「女の世間」より)

 エロ話は健康的な明るさにつうじる。エロ話(に限らず雑談)が仕事をはかどらせるというのは、仕事が機械化される前であることと関係があると思う。人間は作業に倦むが、機械は倦むことを知らない。倦むことの知らない機械のリズムで仕事をすると、倦むこと(緊張の緩和)は遠ざけられる。緊張の持続は度を過ぎればストレスとなり、心身にひずみが生じる。現代の仕事、組織において、「健康的な明るさ」により緊張を緩和させるには、どうしたらいいのだろう?

著者の祖父たちの生き方

 「納得のいかぬことをしてはならぬ」というのが祖父の信条で、蚕をこうて金をもうけることは大切だが、そのために、米麦をつくる場所をせまくすることには賛成できなかった。だから自分は古いことをまもったが人には強いたわけではない。自分だけは自分の納得のいく生き方を生涯通したかったのである。
 しかしこれは祖父一人の生き方ではなかったようである。つまり、それがこの地方の人たちの一般の考え方であったらしいことは、姑と嫁の性格がちがっていて、嫁に姑ほどの物固さがないとき、姑は「私一代は家のつとめを十分つとめますけえ、どうぞ嫁の代にはなまけてもゆるしてやってつかされ」と先祖へことあるごとにゆるしを請うておくものだと、年とった女たちからよくきかされた。(「私の祖父」より)

 人には強いず、しかし、自分だけは自分の納得のいく生き方を生涯通す、という素朴で強い生き方。

ある易者について

 百姓や漁師に満足のいく易をたてるには大へんな知識が必要で、夜辻に立ってやるような易は易のうちにはいらぬという。易というものはそれが他人のためによかれあしかれ暮しをたてていくための指針になるものでなければならぬ。気休めだけではいけない。それには易者が金持ちになるようでは私心があって本物でない。易者は貧乏だが食うに困らぬというのが本物だと大川翁(注:易者)はおしえたという。(「世間師(2)」より)

 人に易をたてるには「大へんな知識が必要」なのであって、大へんな知識とはどのくらいかはともかく、そうした特殊なことを行うのは本来困難であるということ。