「重力ピエロ」 伊坂幸太郎

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

 伊坂幸太郎の作品を読んだのは、「オーデュボンの祈り」に次いでまだ2作目。でも、この2作だけでも十分、今、最も好きな作家の一人といえる。それくらい、オーデュボンにしても重力ピエロにしても面白いし、読後の余韻が大きい。

 同じく今最も好きな作家の一人である石田衣良の作品もそうだが、読み始めると次が気になって仕方がないストーリーに加えて、文章によって表現されている思考・センスが、シンプルで自然で、そして強い。だから、文章を読むこと自体が心地いい。

 時代や世代といったマスから考えるのではなく、多様な価値観、境遇にある個人それぞれが素朴に感じることをベースにして、何が大事であるかを登場人物たちは語る。

 この重力ピエロでは特に、主人公である兄弟(泉水と春)の父の存在が大きい。僕は一人の父親として、このような父であり得たいと思う。そのシンプルで自然で、そして強い(強くみせる心の強さ)生き方には憧れる。

 やはり、人生において最も重要なキーになるのは「境遇」ではない。遺伝子に象徴されるような存在として揺るがしがたい事実や、過去の消したくても消せない事実でもない。そうしたことをすべて抱えたままで、人がどう生きるか、その生き方が大事なんだろう。

がんで入院中の父を見舞う泉水(私)・春の兄弟と、父の会話

「この演奏しているのが盲目だと聞いて、俺には納得が行ったよ」父が笑った。「この楽しさはそういう人間だから出せるんだ」
「そういう人間?」
「目に見えるものが一番大事だと思っているやつに、こういうのは作れない」父の言わんとすることは、薄らとではあったが、分かった。この、「軽快さ」は、外見や形式とは異なるところから発せられているのだろう。しかも、わざと無作法に振舞うようなみっともなさとも異なり、奇を衒ってもいない。言い訳や講釈、理屈や批評からもっとも遠いものに感じられた。
「小賢しさの欠片(かけら)もない」私は呟く。
「この演奏者はきっと、心底ジャズが好きなんだ。音楽が」父がうなずく。
「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」春は、誰に言うわけでもなさそうで、噛み締めるように言った。「重いものを背負いながら、タップを踏むように」
 それは詩のようにも聞こえ、「ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ」と続ける彼の言葉はさらに、印象的だった。

 母は、「気休め」が好きだった。「その場限りの安心感が人を救うこともある」とたびたび言っていたし、父が仕事で思い屈している時には、豪勢な手料理を用意し、「人を救うのは、言葉じゃなくて、美味しい食べ物なんだよね」と断言した。食べたとたんに消えてしまう食べ物は、彼女にしてみれば何よりも、「気休め」だったのだろう。春はよく、「気休めっていうのは大切なんだよ。気休めを馬鹿にするやつに限って、眉間に皺(しわ)が寄っている」と言うが、それが母の影響だということには気がついていない。

 父は、春に手を差し出した。点滴のチューブを避(よ)けながら、右手を前に向けた。少ししてから春が、礼儀を思い出したかのように慌て、自分の手を出し、握手をする。
 父の表情は変わらなかったが、右手にはとても強い力が込められているのが分かった。意志の伝達を行うような、力強いもので、それこそ他人が見たらそれは親子による、拮抗した腕相撲と勘違いしたかもしれない。
(中略)
 春は夢でも見るかのような面持ちで、父を見ていた。手を握り返している。
「おまえは、俺に隠れて、大事なことをやった。そうだろ?」父が不意にもう一度言った。春は瞬(まばた)きを何回かした後で、私をちらっと気にかけたが、「何もないよ」と自然に、笑った。父は握っていた手を離した。私のほうにも顔を向けて、幸せそうな笑顔を見せた。そして再び、春と向き合うと、言った。
「おまえは嘘をつく時、目をぱちぱちさせるんだ。子供の時からそうだった。泉水もそうなんだよ」
 私たちは言葉を発することができず、ぽかんと口を開けたままの、どちらかといえば阿呆面で、父を眺める。父はさらに、春に向かって、こうつづけた。それは、私たち兄弟を救済する最高の台詞だった。

「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」

 十分ほど前、父の入った棺桶が火葬炉に入っていくのを確認すると、私と春は、控え室で待つのではなく、そのまま、ふらふらと外に出てきてしまった。二人で田圃(たんぼ)道を歩いているうちに、この農具小屋に辿(たど)りついた。
 火葬場から真正面に見えた。煙突から煙が上がっている。最近はガス式設備などが広まって無煙のところも多いらしいが、そこは違っていた。火葬される父の煙が、空に向かっていくのが見える。ゆらゆらと気まぐれを見せながら、確実に煙は伸びている。
(中略)
 空の向こう側では、母が父のやってくるのを待っていて、きっと彼らは楽しくいちゃいちゃと暮らすはずだ、などという楽観的な想像が私にはできなかった。人は、脳の中の神経伝達物質の流れで思考をしたり、様々なホルモンの分泌で生活をしているので、死んで骨になってしまったら、人の本質など消えてしまう。どちらかといえば、そう考えてしまうほうだった。何も考えたくなかった。父の行方や、母の居場所について、知りたくなどなかった。春も同じ気分だったのかもしれない。
 だから、煙を応援している。魂や死後の世界がないとしても、煙は確かにそこにある。それは事実だ。誰にも文句は言わせない。私たちが今、見つめ、縋(すが)るべきは、あの実態を持った煙だ、と確信する。のんびりと、しかし着実に昇っていく煙は、父に似合っていた。慎みがあって、好感が持てる。
「行け!」春がまだ叫んだ。
 私は手に持った缶ビールを見た。そのうちの一本を右手で持つと、思い切り振った。しゃかしゃかと上下に揺する。二階を見上げ、「春、乾杯をしようじゃないか」と声をかけた。
(中略)
 何度も振ったほうの缶ビールを、屋根の上にいる春に向かって投げた。春がそれを受けとめる。
 蓋を開けたらビールを吹き出すのを、私は期待し、笑いを堪(こら)えながら、「さあ、乾杯だ」と高らかに言った。