『落語と私』桂米朝著

落語と私 (文春文庫)

落語と私 (文春文庫)

 落語の話芸、作品、歴史、名人たちについて、平易に、そして楽しく説明してくれる良書。例えば、「落語史上の人びと」の柳家金語楼(大正末期から昭和初期にかけて活躍)の解説のところで、『兵隊』という落語についての記述。

 この作品は何度も活字になって、落語全集などにものっていますが、後世、これを活字でお読みになったのではピンとこないところもあります。
 ちょっと説明してみましょう。
 ……わたしも人なみに籍がはいってましたから、徴兵検査を受けることになりました。しかし、昔から、はなし家で甲種合格の優秀なる兵隊……などということは少ない。わたしもたぶんダメであろう……と思いながら受けてみますと、意外やこれが、甲種合格ということになりました。だがしかし、くじ逃れということがあるから(註:この時分軍縮ということで、兵隊の採用数がへっていたので、合格者多数の場合はその中から、くじで兵役免除者を選ぶことがおこなわれていた)、どうかくじ逃れだけにはなるなよ……と、神仏に祈ったかいあって、くじ逃れにもならず、ぶじに、何月何日めでたく入隊ということになりました。

 と、文字で書けば右のとおりで、あのきびしい戦時中でも、べつに叱られるようなところは一つもありません。
 ところが、これをお客の前で演じる時に、語調と間のとり方、表情……、これで内容が一変するのです。
 柳家金語楼をご存じの方はまだ多いと思います。あの豊かな表情を想像しながら以下をお読みください。
 「……はなし家で甲種合格などということは少ない、わたしもたぶんダメであろうと……」というくだりをしゃべる時は、楽しそうに安心したにこやかな表情でしゃべり、
 「……意外やこれが、甲種合格ということになり……」というところになると、急にグッと顔がこわばり、額にしわをよせて、渋面をつくります。
 「…だがしかし、くじ逃れということがあるから……」と、今度はまた、期待にあふれる表情で笑みをうかべ、
 「どーオか、くじ逃れだけにはなるなよと……」
 というところで、目をつぶって真剣に祈る表情になります。
 「……祈ったかいあって、くじ逃れにもならず……」
 と、ここでまた、実に情なそうな顔になる……という演出であったのです。
 文字で書かれたものと、はなし家が演じたものとは違うものだということの実にいい例でもありますが、当時、お客が喝采した理由もおわかりと思います。

●この本の目次
はじめにプロローグ エー、毎度バカバカしいお笑いを一席!
第一章 話芸としての落語
 落語・漫才・活弁
 しゃべり方でこんなに違う
 説明なしですべてがわかる話術
 しぐさと視線
 立体感のつくり方
 女の落語家はなぜいない

第二章 作品としての落語
 名作、駄作も演者しだい
 はたして落語は文学か
 サゲの効きめはどんでん返し
 「死骸が腐ります」―落ちのいろいろ
 古典落語新作落語
 落語は一種の社会学
 落語から学んだもの
 人情噺について

第三章 寄席のながれ
 落語はいつはじまったか
 上方落語は野天から
 ちょっと気どった江戸落語
 寄席、登場!
 端唄、どどいつ、笛、太鼓
 余裕がうみだすユーモア
 寄席経営の内幕
 一人前の落語家とは
 高座の高さとマイクロホン
 客席とのほのぼのとした交流

第四章 落語史上の人々
 江戸から東京へ
  立川焉馬烏亭焉馬三笑亭可楽
  三遊亭円生―芝居噺の名人
  三遊亭円朝―十七歳の真打
  柳家小さん
  柳家金語楼
  文楽志ん生
 上方の人びと
  初代桂文治
  桂文枝
  七代目桂文治
  桂春団治
  五世笑福亭松鶴
 落語家の現状
  前座→二ツ目→真打
  三つの落語協会

エピローグ 言いたりないままに
 キモノ文化から洋服文化へ
 だから落語はやめられない
 末路哀れは覚悟の前やで
 
 解説 矢野誠一