『紀ノ川』有吉佐和子著

紀ノ川 (新潮文庫)

紀ノ川 (新潮文庫)

 歴史書は時代を描く。そのために、出来事をとらえ、人は集団としてとらえられる。個人は英雄ばかり。小説が歴史書と異なるのは、ごく普通の人の生きざまや、当時の人々に添うようにしてある風習・風景を描くところにあると思う。

 この本は、「紀州和歌山の素封家を舞台に、明治・大正・昭和三代の女たちの系譜をたどった年代記」(新潮文庫)である。小説の舞台である和歌山市六十谷にほど近い場所で育ったぼくには、当時の人々の生活や、まだ人々の人生とは切っても切り離せない存在であった紀ノ川をイメージできたのは、故郷を新たに発見したような思いがした。

美しく柔らかく、でも芯の強い素晴らしい文章。生き方がしっかりしていないと書けない感じ。

こうして、女方が強く望んで真谷家の申し込みを享けたのであったが、結納を交わしてから二年近い歳月が結婚の準備として予定されねばならなかった。豊乃は花と徳を連れて京都へ出かけ、嫁入道具をあつらえ、裲襠(うちかけ)も帯も振袖も念を入れて注文した。京塗りも手間を省かぬ上等の品は、地塗りから仕上がりまでに一年余りかかるのである。

 先頭の舟には仲人夫婦が結納返しや親類縁者への土産ものを満載して鴛鴦(おしどり)のように並んで坐っていた。花のいる駕籠をのせた舟は二艘目である。徳がそれに付添ってのっている。塗りなれぬ白粉(おしろい)を塗って、この五十近い女の顔は緊張していた。温暖の土地とはいえ三月初旬の早朝の空気は、殊に川の上とて肌を刺す冷たさがあった。紬(つむぎ)の紋服に帯つきという装(なり)では女衆たちは寒すぎたかもしれない。
 三艘目と四艘目の舟には信貴と花の兄である雅貴と、丹生家本家新家等々、紀本家の親類縁者が乗りこみ、これは岸を離れると直ぐに賑やかな世間話に打ち興じている。最後の舟には髪結の崎を別として紀本家の男衆と女衆が膝を詰めあって乗りこんでいた。
「豪勢なものやのう、信貴さんよ。明治維新(ごいっしん)この方この辺りで、このかい立派な嫁入りはあるまいかい」
「見い、川筋は人だかりや。なんせ荷は九吊り(ここのつり)、堤づたいに運んだあとで、紀本の嫁入りは鳴り響いたある」

「お前(ま)はんのお母さんは、それやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する気(きい)や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れこむ気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向(むき)を変えてしもうたんや」

 また間違っているのだった。花は髪を梳く華子を、いつか文緒と思い込み、文緒に語りかけるようにして話し出した。
「あんたには随分云いたいこと云うがままにさせてあげた。女子大へ上がっても、英二さんと結婚してからも、云うてくるだけのお金は送ったげなかったことなかったんえ。それで独立や自由やのて、華子に聞かしたら笑うやろと思うわ。けどのし、和彦も華子もええ子です。文緒が産んで育てた子に間違いなし。としたら文緒さん、あんたもええ母親やったんでしょうの。子供を見やなんだら、女の一生が成功やったかどやか分りませんよってにのし」