5月2日から2泊3日で、家族で福井を旅した。
福井県勝山市にある恐竜博物館に行くことが最大の目当て。
もちろん、息子の希望だ。
天気に恵まれ、料理はうまく、温泉も楽しめた。
山のリゾートホテルで1泊、2泊目は港町の民宿。
山の稜線に沈む夕日、海の島影に沈む夕日、
それぞれの部屋からみた夕日はとても美しかった。
2泊目の宿泊先から目と鼻の先にある雄島には、江ノ島のように、橋を渡って行く。
朝ごはん前に散歩がてら行くと、野生の狸がひょっこり顔を出して出迎えてくれた。
民宿で働くおばさん、駅の喫茶店で働くおばちゃん、
東尋坊で交通案内をするおじさん、タクシーの運転手さん、
えちぜん鉄道のアテンダントのお姉さん…
人柄に土地柄を感じて、そこでの生活を感じて新鮮だった。
1日目は、移動でほぼ終了。
朝9時すぎの電車で出発して、夕方、1泊目の宿泊先ホテルハーヴェスト勝山に到着。
高原のリゾートホテルで、空気がいい。
冬はスキーのゲレンデになる、芝の山がホテルの裏側に広がっていて、開放感抜群。
部屋はホテルに3部屋しかない、恐竜ルーム。
恐竜の人形が数体ベッドに配置され、布団は恐竜模様。壁紙もそうだ。
息子はおおはしゃぎ。
温泉から出てくると、ちょうど夕日が沈むころ。
手の込んだ料理が豊富なバイキングの夕ごはん。
2日目はまず、芝そり。
息子の分だけでなく、自分のそりも借りて、緑のゲレンデのてっぺんからすべる。
風が気持ちいい。眺めも最高だ。
近くではパラグライダーも飛び立とうとしていた。
その後は、釣り堀。いろいろ遊べるのがこの施設の魅力。
結局、惜しいところで釣れなかったが、息子も楽しんでいた。
で、いよいよ恐竜博物館に移動。
途中、タクシーの運転手さんから混んでいる状況を聞く。
覚悟はしていたが、実際に着いてみると、長蛇の列。
2時間待ちを覚悟して、まずは昼飯で腹ごしらえ。
1時間おきにかみさんと交代する約束で、まずかみさんが並びに行く。
僕は息子について、出店のアンモナイトの化石掘り。
子どもだましのようなちゃちな遊びだが、アンモナイトじたいは本物。
息子は自ら探し出したアンモナイトを宝物のように握りしめていた。
そうこうしているうちに、意外とは早く入れそうとかみさんから連絡。
結局30分くらいで中には入れる。
博物館の中は、吹き抜けのつくりで、開放感があってさほど混雑は気にならなかった。 東京で混雑に慣れているせいかもしれないが。
さすがに、世界三大恐竜博物館の一つといわれるだけあって、
恐竜の骨格等、標本数は圧巻。息子は率先して見て回って、はつらつとしていた。
化石クリーニング室での仕事の様子も見れるようになっていたのが印象的だった。
えちぜん鉄道でほぼ端から端まで、のんびりと移動。
勝山から2泊目の宿泊地三国駅に向かう。
水田の風景が広がり、穏やかな日差しが入って、かみさんと息子はうとうと。
僕は風景をみたり、子母沢寛の『勝海舟』を読みながら。
2泊目は内湯の宿おおとく。この宿からみえる夕日も美しかった。
そして、なにより料理が最高のぜいたく。
「地産地消」を掲げて、地元でとれる食材を重視。
三国港でとれた甘エビの刺身はこのうえなくうまかった。
GW中は原材料が高くなり割高な分、サービスとして、
さっきまで水槽に入っていた、活イカの刺身を出してくれた。
身は透きとおり、コリコリしていた。
出世魚の「ふくらぎ」、ひらめ、メバチマグロの刺身もうまかった。
そのほか、わかめのしゃぶしゃぶ、民宿名物の肉じゃが、
地元老舗蕎麦屋から毎朝配送してもらっている手打ち蕎麦、
東京青山のイタリア料理店に勤めていたシェフによるホタテの香草焼、
のどぐろの塩焼き、魚のあら汁と筍ご飯などなど。
目いっぱい、うまいもんを味わえた。
翌日の早朝、朝ごはん前に、神の島といわれる、雄島に。
かみさんがその風景に感動していた。
狸が出迎えてくれて、その後、島の大湊神社にお参り。
約1200万年前に噴出した輝石安山岩の岩石島ということで、
岩肌からは化石でも発見できそうな感じだった。
朝ごはんもよかった。大満足で、チェックアウト。
宿のシェフでもある息子さんでに、近くの越前松島水族館まで車で送ってもらう。
今度はカニの季節にぜひ来たい、いい宿だった。
水族館では、大ダコやエイやサメに触ることができたり、
魚やウミガメにエサをあげたり、なんだかんだと、ただみるだけでなく、
体感できたのがよかった。
東尋坊にバスで移動。
先に昼飯。手打ち蕎麦屋「美浜屋」でおろし蕎麦。これもうまかった。
遊覧船には乗らず、岩壁を逍遥する。いい天気で絶景だった。
タクシーで三国駅に戻って、電車を待つ間、
ぼく一人で、近くの瀧谷寺(たきだんじ)へ。時間が15分くらいしかなかったので、
宝物館だけのぞく。まあ、行けただけでもよかった。
藤原時代の仏像、国宝の文磐、重文の地蔵菩薩図像、
明智光秀・滝川一益の花押つきの書状、結城秀康の書状などが収められていたが、
勝海舟の直筆の掛け軸があったのは、ちょうど小説を読んでいるところだったので、
嬉しい偶然だった。
柴田勝家の寄進による鐘楼門も面白いと思った。
夕方16時半すぎの福井発米原行きの特急しらさぎで帰る。
家に着いたのは夜9時半ころ。息子は意外と元気で、
ずいぶん、体力がついてきたのだなと実感した。