七夕

 7月7日の数日前、子どもが幼稚園から笹を持って帰ってきた。手作りの牽牛、織姫(らしき)もちゃんと飾られている。

 折り紙を短冊代わりにして、ママが本人の願い事を記す。

 「いまよりもっとはやくはしれますように」

 七夕の翌日、夜、会社から帰宅して、ママに今日1日の子どもの様子を聞く。

 「『ぜんぜん、はやくはしれるようになってない!』って怒ってたわよ(笑)」

 子どもにすれば、願い事がかなうと言われれば、すぐにかなうと思うよね、確かに。ちょうど、一夜にしてサンタが訪れて、朝にはほしかったプレゼントが置かれているクリスマスのように。

 気持ちはわかる、わかる。


 ところで、「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのか、気になったので調べてみた。以下、かぎカッコの箇所は『日本古典文学大辞典(簡約版)』(岩波書店)。

 7月7日の夜、「鷲座の牽牛星と琴座の織女星が1年に1度めぐり合うと考えられ、この伝説と乞巧奠(きつこうでん)の行事が中国から輸入されて、わが国古代の棚織女(たなばたつめ)に関する信仰と習合されたと見られる」
―とある。

 そして、「棚織女とは、棚の機中にいる女の意で、村の神女の中から選り出されて神の嫁となる処女が、棚作りの建物に住んで神の訪れを待ち、来るべき神のために機を構えて布を織るという。これを棚織女・弟棚機(おとたなばた)といった<折口信夫>」
―という。

 「神の嫁となる処女」とあるから、「神の嫁となる」のは「処女」ではなくなることを意味するのだろう。ただ、それが(単純に)セックスによるのか、そうでないのか、また、それが、“だれ”あるいは“何”によってなされるのか(神の代理人的な人間によるものなのか、何か別によるのか)。 

 また、願い事を記すのは、「乞巧奠(きつこうでん)」と関係があるらしい。
 「古代中国では、七は陽数であり、その重なる日に意義を認めた。牽牛星はもと農業生活を主とした上代漢民族の間で重視され、一方、七夕説話とは無関係に行われてきた乞巧はやがて七夕に結びつけられ、この日に針に糸を通して裁縫の上達を願う。わが国でも乞巧奠の儀は裁縫・書・詩歌・音楽などの上達を祈る行事として平安中期から末期にかけて盛んに行われた」とある。

 つまり、「たなばた」の読みは「棚織」から来ているようだ。また、願い事を記すのは、もともと裁縫の上達を願う乞巧が由来のようだ。