『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』稲盛和夫

人生の王道

人生の王道

 西郷隆盛が残した言葉をまとめた『南洲翁遺訓』。それを基に、著者が自らの人生観・経営者としての経験を踏まえながら、「人間が正しく生きていこうとするうえでの普遍的な真理」を伝えた本。良書である。なお、南洲とは西郷の号。

 庄内藩は、新政府軍と戦って全面降伏しました。勝利した官軍によって武装解除されるのが普通です。ところが、西郷は逆に官軍から刀を召し上げ、庄内藩に丸腰で入っていかせたのです。荒くれ武士の乱暴狼藉を未然に防ぐための措置でしたが、敗者への配慮、敬意でもありました。(中略)
 その後、西郷が下野して郷里に戻ると、西郷の度量の大きさ、人柄の素晴らしさを慕った庄内藩の若い武士たちが、鹿児島まで教えを請いにやってきます。(中略)
 そうした西郷の薫陶を受けた庄内藩の人たちが、学び取った西郷の教えを編纂し、後世に残してくれたのが、『南洲翁遺訓』なのです。

 (遺訓の訳)己に克つということの真の目標は論語にある「意なし、必なし、固なし、我(が)なし」(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。

 よく「己に克つ」というが、欲のままに流されない、とか、目標を達成するまで諦めずに努力するとか、そんなことを漠然と思っていた。西郷の言葉は、常日ごろの身の処し方として耳が痛く、心得ておくべきことである。

 目標までの長い道のり前にして呆然と立ち尽くし、「自分にはとても無理だ」と諦めて前進を止めてしまうのは、甘えであり、逃げであり、卑怯者のすることだと西郷はいいます。
 どんなことでも、まず強く「思う」ことからすべてが始まるのです。「そうありたい」「こうなりたい」という目標を高く掲げて強く思う。

 卑怯者とまで言わなくても…とも思わなくもないが、逆にそう断言する(考える)ことで、前進するためのシンプルな思考となるかもしれない。つまり、ひたむきな努力の原動力になるかもしれない。

 精進とは、真面目に一生懸命に励み勤めることで、現代でいえば「働く」ということです。この働くということは、単に報酬を得るための手段ではありません。仕事に打ち込む、一心不乱に働くということを通して、心、魂、人格がつくられていくという意味では、まさに修行なのです。

 気持ちまで弱ってしまうような、くよくよとした心配をしても何もなりません。人生や仕事で起きる障害や問題に、感情や感性のレベルでとらわれても何も解決しないのです。苦しければ苦しいほど、理性を使うのです。理性をもって、合理的かつ徹底的に解決策を考え尽くし、その解決にひたむきな努力を注いでいくことが大切です。
 そして、そこまで合理的に考え尽くし、一生懸命に努力をし、まさに「人事を尽くし」たなら、あとはうまくいくのだろうかなどと余計な心配はせず、ただ成功を信じて「天命を待つ」のです。
 たとえその結果がどうなろうと、くよくよと後悔したり悩んだりせず、次の新しいステップに、常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて、素直な心で対処していくことが大切です。それが感性的な悩みをしないということです。

 苦しければ苦しいほど、理性を使う。理性をもって、合理的かつ徹底的に考え抜く。それでひたむきに努力する。それが一心不乱ということであり、現実の困難を解決する“王道”なのだろう。そして、このような思考・姿勢が、人格を磨くということにもつながるのだろう。