義祖母が亡くなる、ボイストレーニングの会に参加、息子小学校卒業、箱根湯本に家族旅行

3月5日(土)
かねてから入院していてはっきりといろいろなことの認識もできなくなっていた義祖母が亡くなる。公には100歳だが、出生児の届けを出すのが遅くなっていたため、実際は101歳。僕にとっては「花小金井のおばあちゃん」。かみさんの母方のおばあちゃん。かみさんが福島から東京の看護学校に入るために上京できたのも、東京におばあちゃんがいてくれたからで、厳しい看護学校時代、特に最初はかみさんは毎週末のように花小金井のおばあちゃんのところに泊まりに行き、愚痴などを聞いてもらって世話になったとのこと。僕と結婚後、僕もおばあちゃんの家をよく訪れることとなったが、とにかく僕のことを気に入ってくれて、大歓迎してくれた。行くたびに、ハグしてくれる義祖母なんて、あまりいないんじゃないかな。僕も、どこか気持ち的に通じるというか、気が合うというと偉そうなのだけれど、なんというか似ている感じがして信頼感を覚えていた。そのおばあちゃんが、数年前から入院し、寝たきりでほとんど認識ができない状況になっていた。あの快活なおばあちゃんがすっかり見る影をなくしてしまっていた。これで寿命を全うしたかと思うと、さびしいけれどもまあよかったのかなと思う。

3月6日(日)
義祖母が亡くなっていてバタバタとしているところで、息子がインフルエンザに感染。

3月7日(月)〜11日(金)
息子学校を休む。義祖母の通夜、告別式はかみさんのみ出席、僕は息子を看病。11日夕方、会社で東日本大震災の当日の行動を振り返る会があり、参加。当時の体験を話し合い、今後に生かすべきことを考える。11日はかみさんの誕生日でもあったが、お祝いはまたの機会に。

3月13日(日)
久々に池袋ジュンク堂に行き、池袋西武下の山野楽器をのぞいてくる。夕方、義父の見舞い。

3月14日(月)
弟の41歳の誕生日。

3月15日(火)
18回目の結婚記念日。ガーデンストロベリーの鉢を買って帰る。

3月18日(金)
母の68歳の誕生日。

3月19日(土)
ギター教室の先生が、知り合いの人に頼んで開催してくれた「ボイストレーニングの会」に参加。腹式呼吸も本格的にやろうとなるとなかなかできない。笑えるくらいまったくできない。でも楽しく学ぶ。夕方からはギターの発表会に。「木綿のハンカチーフ」「手紙」を演奏する。夜、参加した先生、生徒たちと、近くの「いちぞう」で打ち上げ。

3月20日(日)
午前中、息子の机を、1階から2階に移動。今までかみさんと息子が寝ていた2階の一番広い部屋が、これからは息子の部屋となる。机をそのままでは運べないので分解し、かみさんと一緒に運ぶ。分解しても重くて苦労したが何とか無事終了。代わりに2階のその部屋からかみさんの鏡台を1階に移動。いまだ寝るのは、息子はかみさんと一緒だが、一人で寝ることになるのも近いだろう。

3月22日(火)
会社のK部長の送別会。目黒「香港園」で。K部長は鉄道旅行好きなので、第二の人生は旅三昧か。

3月25日(金)
息子、小学校卒業式。風が強く寒い日。あの入学式から6年。一緒にいる子どもたちも皆大きくなった。息子からあらかじめ「親を泣かせる場面があるよ」と言われていた、ある場面。僕も好きな曲「旅立ちの日」を子どもたちが歌いながら、間奏中に、親への感謝のメッセージ。周りのお母さん方には結構泣いている人もいた。僕は天井を見上げてぐっと涙を我慢。元気で、いい子に育ってます(親バカ…)。先生方、周囲の人々に感謝です。

3月26日(土)〜3月27日(日)
息子の卒業旅行で、箱根湯本に家族旅行。新宿からロマンスカーで湯本に入り、まず昼飯に。自然薯蕎麦で有名な「はつ花」に。混雑で20分ほど待って入る。自然薯を使っていることもあろうがやや蕎麦がパサパサしていたが、まずまず美味しかった。宿泊する「ホテルマイユクール祥月」に荷物を預け、湯本のお土産街をぶらぶら。「籠屋清次郎」の揚げ蒲鉾を食べる。その後、強羅に行き、強羅公園を散策、園内にあるクラフトハウスをのぞく。夕方、ホテルに戻る。夕飯はピアノの生演奏を聴きながら和洋食のコース料理をいただく。どれも手が込んでいて美味しい上に、見た目にも楽しいいい料理だった。大浴場の温泉も、サービスもよかったし、満足できる宿だった。次の日は朝から芦ノ湖方面にバスで移動。芦ノ湖近くの関所を見た後、海賊船で桃源台に。桃源台からローウウェイで姥子駅までひと駅移動。大涌谷立ち入り規制のため、姥子駅から早雲山駅まで代行バスで移動。早雲山駅からで強羅に戻り、強羅からは前日同様ケーブルカーで湯本に戻る。夕方4時過ぎのロマンスカーで家路につく。楽しい旅行だった。箱根湯本は近くて温泉もいいから、気に入った。

3月30日(水)
かみさん、夜コンサートに。義母が来てくれる。